7月山行 富士山

チームワークを発揮した富士登山

富士登山リーダー 伊藤松雄

吉田口・山頂直下に建つ鳥居をくぐると「良かった、これで全員を登頂させることができた」と嬉しさあまって、「一足先に行ってメンバーを迎えよう」と走り出し『富士山頂浅間大社奥宮』と書かれた石碑にザックを降ろしてメンバーを待った。

 「お疲れさま、頂上ですよ」、先頭を歩いてきた松沢さんに手を差し出すと「あ~良かった。ついに来たんだ」と両手をだして肩ふるわせ、北山さんと握手をすれば「目がうるうるしてきちゃった」と言いながら、松沢さんと抱き合った。
 2人~3人の方が軽い高山病になったが、でも皆さん元気。メンバーの握手を返す力、輝く瞳、喜びあっている姿がそれを物語った。
 だが当初は、来年喜寿をむかえられる松沢さんやメンバー全員を頂上まで案内できるか不安はあった。
事前のミーティングで必要事項を確認した 
 そのために「富士登山ミーティング」をひらいて必要事項を確認しあった。それはチームワークの重要性とパーティー行動のあり方、そして高山病対策である。 
 富士登山の大抵は高山病(熱中症)になるか、ならないかで成否が決まるといっても過言ではない。加えて高齢者は若者に比べて低酸素状態になりやすいため注意が必要だった。 そのために次のことを徹底した。


 睡眠不足にならないために出発時間を4時から7時に変更し、体を高度にならすため5合目で1時間の休憩、宿泊小屋を8合目から7合目上部に変更した。水分は登る前からしっかりと補給して、30分ごとに休憩して水分を補給するようにした。
 「高山病は早く登ればかからない」と誤解している方もおられるが、高山病になりやすい大きな要因はハイペースで登ってしまうこと。もし体力が有り余っていたとしても、急に高度を上げずに徐々に体を高度に慣らして行くこと。また体が疲労すること自体も高山病を招き寄せる。
的を射ている言葉(行動)
 私はいつもながら「あせらず、じっくり、ゆっくりと」を合言葉にして「亀さん」に徹した。メンバーのひとりが「富士山ガイドの方々も、私たちと同じようにゆっくり歩いていましたよ」といっていたが、富士山を知り得ているからだと思う。
 とはいえ、富士登山の所要時間は5合目から頂上までは7時間(休憩含まず)。遊友のかかった時間は8時間(休憩含む)だったから、「私たちを追い越して行った人たちと頂上に着くのが同じでしたよ」という言葉は実に的を射ている。
 また疲れて呼吸が浅くなってくると、酸素を取り込めず酸素不足・高山病になる。そこで意識して深い呼吸をするようにした。
 具体的には、これ以上は入らないというくらいたくさんの空気をゆっくりと吸い、2~3秒息を停めて、今度は口を小さくすぼめてゆっくりと吐き切る。これは登山中にできないので「ハイ、深呼吸」といって立ち止まって酸素を取り入れた。
 くわえて、ザックのショルダーベルトの締め付けによって首や肩が凝り固まっていないか、呼吸するのに苦しくないのかを確認し「登りでは閉めない方が楽ですよ」と薦めた。歩き方も二本足を有効に活用する体重移動をアドバイスした。
 よく富士山で、酸素を購入して「高山病対策」と称している方を見かけるが、私はメンバーに水をちょくちょく取り入れて、血液がドロドロ状態にならないようにした(水は酸素より安く、酸欠不足に効果抜群)。
 言いにくいことに、「アルコールは呼吸を抑制する作用があって、高山病予防としては避けたほうがよい」といわれている。が、こともあろうに私は「リーダーのあり方」と称して市川、清水さんを小屋前にお連れして消灯までご託をならべていた。
久々に心晴ればれとした山行
 さて、チームワーク(メンバーシップ)、パーティー行動のあり方については遊友のホームページに書かれている。
 それは「自我を張らないで協調を保つ。メンバーひとりひとりがアシスタントサポートになる。パーティーを組んだら最も弱い人の実力(体力・装備)に合わせる。歩く速さも最も遅い人に合わせる」ことである。
 私は富士山帰りの車中「今回の富士登山はチームワークが大いに発揮されて嬉しい」と感謝した。それは「あの人が遅い」とか「あの人のせいで」ではなく、『仲間11人全員が協力し合って富士山の頂上に立とう』の志しでお互いをいたわり、励まし合って行なわれたからだった。

 とりわけ樋口、市川、清水さんら男性組のサポートには心地よいものがあった。
 ここでこれらをひとつひとつ紹介できないが、先に話した「自我を張らないで協調を保ち、ひとりひとりがアシスタントサポートになる」ことがずいしょに現れて、これこそが「山男の心」であると感じた。
 それは男性組に限ったことではなく女性組も同じだった。それを語るひとつに、山行後男性組を除いた『富士山打ち上げ会』を女性全員で行なったこと。これまでは男性(リーダー)のかけ声で開かれていたのだが、今回は男性を「無視」して行なったことは遊友がつくられて初めてのこと。それだけ女性組のスクラムとチームワークが強められたと感じている。
 遊友ハイキングクラブが作られて20年。久々に心晴ればれする山行で、20周年を飾るにふさわしい山行となった。
 メンバー皆さんのご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

念願の富士登山

松沢扶美子

若い時は富士山は登る山ではない、見る山だ。なんて生意気なことを言っておりましたが、年と共に日本一の富士山に登るのが夢となりました。
 ちょうど10年前、遊友で富士登山が計画されましたが、運悪く頸椎骨折で入院。夢が遠のき、そのうえ年も重ねあきらめていたところ、今年の山行計画に富士山が…。
 無理を承知で総会のおり、会長に連れて行ってくれるか打診。12月の寒い時でなくても内心凍りつき、返事に困ったことでしょう。
 しかし晴れて今回の富士登山、危険因子の私はリーダーの後につき、歩き方、姿勢、呼吸の仕方を教わりながら歩を進めました。
 高山病も熱中症も、水分補給と呼吸の仕方で絶対大丈夫との会長の言葉を信じ、少しでも前に一歩を出せば必ず頂上に行けると自分に言い聞かせ、一歩一歩しっかりと足を踏みしめながらひたすら歩き続け、苦しさを乗りこえ、山頂に辿り着いた時は嬉しさと感動で北山さんと抱き合って、うるうる……。
 このことは、会長や仲間の力添えがあればこそ成しえたのに、誰かの言葉ではありませんが「自分で自分を褒め、よくやった、偉いぞ」と高慢な気持ちなった私に…天罰が!!。
 下りだしてしばらくすると、足がもつれたように感じたと思ったら、両膝に激痛が。
 ザックは男性陣に持っていただき、北山さんは、履いていた膝サポーターはずして私に着けてくださりました。着け始めは少し楽になって「これなら大丈夫…」と思っていましたが、すぐに激痛がはしって、一歩一歩が地獄になりました。
 しかし遊友の仲間の励まし、声かけがどれだけ嬉しくなったことか。痛さの涙より嬉しさの涙がまさり、お陰様でなんとかおりることが出来ました。
 無理を承知でこの年寄りを何とか登らせたいと、コース設定から高山病対策など考慮してくださった会長はじめ、気配りそして励ましてくださったメンバーの皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。
 そのうえドライバーの及川さんは、玄関前まで送り届けていただき感謝しきれません。
 素晴らしい仲間に恵まれ本当に幸せ者です。
 感動と感謝の気持ちを体中一杯にした、忘れることの出来ない素晴らしい富士登山となりました。
 皆さん本当にありがとう、心より感謝申し上げます。
感謝の気持ちが天に通じたのか、翌日はすっかり痛みはありませんでした。皆さんかさねてお礼を申し上げます、ありがとうございました。


やったぜ遊友11人・富士山を制覇!!


梅澤ミチ子

今回富士山に行くメンバーは、一部の人を除いて初めての経験でした。
 松沢さんは、田部井淳子さん(登山家)の生き方に感動され、今回富士登山にチャレンジしたそうです。
 松沢さんが登るのだから、その後ろについていけば私も登れると思い、また会長が「絶対松沢さんを頂上まで連れて行くんだ」と言っていたので、私も富士山に一度は登ってみたいと、あやかりました。
 7月22日、出発はいつもより遅い7時。及川さん運転で富士5合目を目指して春日部を後にしました。途中、八王子ジャンクション付近で渋滞に巻きこまれましたが、11時にガスが立ち込めた富士5合目に到着し、昼食をとって12時に出発しました。
 及川さんは5合目にある佐藤小屋に泊まって、翌日私たちを乗せて帰ることになっていましたが、6合目まで一緒に行って私たちを見送ってくれ、会長は、歩き方・呼吸の仕方・歩く姿勢・水のとり方などについて何度も教えてくれました。
 「あの小屋が今晩泊まる小屋」。「あと15分くらいで着くぞ~」と聞いたとき、あともう少しだ…と思ったら、いきなり大粒の雨が私たちを覆い、急ぎ雨具を着ましたがびしょ濡れ。自然の凄さ・富士山の「怖さ」を感じながら16時に小屋に到着しました。
 夕食はハンバーグ定食で生ビールが800円。私は2杯飲んでやめました。
 20時頃就寝し、翌朝(4時起床)小屋前でご来光を見ようと待機しましたが、残念ながら見られません。それでも足元には雲海が広がって富士山山頂付近も見渡せ、日本一のパノラマが広がっています。
 朝5時、いよいよ出発です。小屋は7合目の上部にあったため8合目までは順調でしたが、登るにつれて酸素が薄くなり、体力はそれほどでもないのに気持ちが悪くなったり、息づかいが荒くなって嫌になってきました。
 前を行く松沢さんは苦しくないのかな~?と、思いながら背中を見ながら登っていきましたが、苦しくなって、「もうダメだ~!、限界だ~!、ハクション大魔王の空飛ぶジュウタンを用意してくれ~!。女の人だけでも乗せてってくれよ頂上に!!」と頭の中で葛藤を繰り返し、女性軍の一部の方が軽い高山病になって笑いが消えていきました。
 しかし途中で会長が駆けだすと、登山道を曲がりくねったところで私たちを待ちうけていました。
 「お疲れさま、よくがんばったね」と、ひとりひとりに握手をしています。えっ本当、本当に頂上に着いたの…とびっくりました。だって、頂上着が10時だったのに、まだ9時です。でもすぐ嬉しくなって、「やったぁ~、やったぁ~!!」と思わず叫んで、会長、そして皆さんと握手をしました。本当に嬉しいのひと言です。
 それは会長の気配りと参加者皆さんの協力で実現できました。会長、遊友の皆さん、ありがとうございました